「チーム緑ヶ丘1207」支援プロジェクト通信 No.1


「チーム緑ヶ丘1207」支援プロジェクト通信 No.1

「緑ヶ丘」の取り組み、沖縄の状況、私たちの
活動をお伝えするため『通信』を発行します。

 昨年12月7日、 私たちは、 沖縄「チーム緑ヶ丘1207」 の皆さんとのリモート交流集会を東京で開催しました (参加者は90人)。 12月7日は米軍ヘリからの落下事故があった日で、 集会の日が3年目にあたりました。 神谷武宏園長のとてもわかりやすい講演とお母さんたちからのメッセージ、 そして東京の会場からの連帯発言もつづき、 感動的な集会になりました。
 私たちはこの日を新たな出発点にして、 「緑ヶ丘」 の皆さんのたたかいを支援し連帯していく取り組みを続けていきます。 この 『通信』は、 「緑ヶ丘」 の活動や沖縄の状況などを伝え、 私たちの取り組みを広げていくためのものです。 さまざまな活用をお願いします。

緑ヶ丘 沖縄防衛局、外務省沖縄事務所、宜野湾市と沖縄県に申し入れ

 昨年12月8日、 「チーム緑ヶ丘1207」 は、 沖縄防衛局 (嘉手納町) と外務省沖縄事務所 (那覇市)に 「保育園上空の飛行禁止」 を求めて申し入れに行きました。 新型コロナの影響で、 上京しての政府要請行動が出来ないためです。
 「一昨年12月に提出したデータや映像を 『米軍に提出した』、 1月には企画部長が 『何らかの対策を考えます!』 と返答して下さっていたので、 何かしらの回答があるはず!とちょっぴり期待していましたが、 沖縄防衛局長は3年前と全く変わらない返答で、 目を合わそうともしなかった」 (facebookより) そうです。
 さらに12月14日には宜野湾市長に3度目の申し入れを、 28日には沖縄県に陳情し、 副知事が丁寧に対応されました (写真)。

県警が調査を打ち切り

 12月18日、 沖縄県警が 「米軍ヘリから落下したものかどうか、特定に至らず」 と発表し、 事実上調査を終えてしまいました。 神谷園長は 「調査結果は 『上空から落ちてきた可能性が高い』 とまとめてしかるべきではないか」 「3年前にあったことを忘れさせないように努力しなければ、 事故は必ずまた起きる。 園の上空を米軍機が飛ばなくなるまであきらめません」と語りました (沖縄タイムスより)。

原告4182人の過半数が「40代」以下
第3次普天間爆音訴訟


 昨年12月25日、 米軍普天間飛行場周辺に住む4182人が、夜間・早朝の飛行差し止めなどを国に求める 「第3次普天間爆音訴訟」 を起こした。 「静かな日々を返せ!」という、 2002年の第1次訴訟から変わらない横断幕が那覇地裁に広げられた。
 第3次訴訟に加わった原告は第2次訴訟から約1000人増え、 しかもその過半数が40代以下という。 副団長の比嘉さんは 「子育て世代にも、 日頃からうっ積したものがある」 と代弁、 緑ヶ丘保育園と普天間第二小に米軍ヘリの部品が落ちた3年前の事故に触れ、 「騒音だけではなく、 飛ばさないようにしないと意味がない。 住民が追い込まれていることを分かってほしい」と話した(沖縄タイムスより)。
 1995年、 米兵による少女暴行事件に抗議する10万人集会が開かれ、 これを機に日米が普天間飛行場の返還に合意した。 当時、 小中高生だった世代が今、 声をあげて立ち上がっているのではないだろうか。 そして、 「緑ヶ丘」 のたたかいが地域の人々に勇気と希望を与えているのではないだろうか。

辺野古に自衛隊?

 陸上自衛隊と米軍海兵隊が、 辺野古新基地に陸自の「水陸機動団」を常駐させることで2015年、 極秘に合意していたことがわかった。日本政府は新基地を 「普天間飛行場の代替施設で米軍用」 と説明してきたが、 実際には日米が共同使用し、 一体化を進める拠点となる。
 陸自幹部は沖縄地元紙の取材に対して、 「水陸両用作戦を展開する機動団には辺野古新基地とキャンプシュワブは最適」 「米海兵隊の国外移転が進めば、 辺野古は実質的に陸自の基地になる」 と本音を隠さない (沖縄タイムスより)。
 極秘合意された2015年、 国会では集団的自衛権の戦争法が審議されていた。 命と生活を守るために、 あらためて辺野古新基地建設の問題を考えていきたい。

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