沖縄闘争を闘い無実で獄中44年
沖縄闘争を闘い無実で獄中44年
星野文昭追悼昭島絵画展
星野文昭追悼昭島絵画展
昭島市民会館・公民館1階・展示室
(東京都昭島市つつじが丘3丁目7-7 JR昭島駅北口より徒歩6分)
入場無料
3月19日(木)~21日(土)
主催 三多摩星野文昭絵画展実行委員会
19日(木) 12時~午後6時
20日(金) 10時~午後6時
21日(土) 10時~午後5時
詩の朗読
3月21日(土) 午後1時~、2時~
人間が人間らしく生きられる社会を
星野文昭さんの軌跡
1946. 4.27 札幌市で生まれる。
高崎経済大学に入学。
1966. 4月 大学の不正入試問題を機に全学連運動に参加。以来、ベトナム戦争反対・日米安保反対・三里塚空港反対・沖縄闘争に参加。
1971.11.14 基地付き沖縄返還協定に反対し渋谷闘争に参加。
1957. 8.6 「殺人罪」で不当逮捕。
1986. 9.17 暁子さん(写真右)と獄中結婚。
1987. 7.17 最高裁で無期懲役確定。徳島刑務所に移監。
2017. 7月 服役30年に。「仮釈放」を四国更生保護委員会に申し入れ。
2018. 8.22 懲役作業中に倒れる。精密検査を求めるも徳島刑務所は応じず。
2019. 3.25 「仮釈放」不許可決定。
2019. 4.18 東京昭島市の東日本成人矯正医療センター(医療御刑務所)に突然移監。「巨大な肝細胞癌」と告げられる。
2019. 5.28 肝臓癌除去手術。翌朝、容体が悪化。
2019. 5.30 午後9時44分逝去。享年73歳。
沖縄基地撤去を求めた星野さん
昨年5月30日、無実の政治囚・星野文昭さん(享年73歳)が、昭島市内の東日本成人矯正医療センターで亡くなりました。がん手術の2日後でした。
1971年11月14日、当時大学生だった星野文昭さんは、「沖縄返還協定」批准に反対する渋谷のデモに、リーダーの一人として参加しました。当時、米軍統治下でベトナム戦争の出撃基地となっていた沖縄では、基地を残したままのペテン的「返還」に怒りが爆発し、ゼネラルストライキが闘われていました。これと連帯する渋谷デモは国家権力との激しい激突となり、デモ参加者、機動隊員の双方に死者が出ました。星野さんは、ここで機動隊員が死亡した事件の「実行犯」にデッチあげられたのです。
星野さんは、警察がデッチあげたウソの目撃証言によって無期懲役刑とされました。以来32年間、逮捕されてから44年間、獄に囚(とら)われながら無実を訴え、再審を求めて闘ってきました。
星野さんの獄死は国家犯罪
しかし一昨年8月、徳島刑務所にいた星野さんは激しい腹痛で倒れました。ところが徳島刑務所は、精密検査を拒み、放置し続けました。
また昨年3月、ようやく行ったエコー検査で巨大な肝臓がんを確認しながら隠しました。服役30年を迎えた星野さんの仮釈放について四国更生保護委員会が審理を行っていたからです。「心身の状況」は仮釈放の判断材料ですが、隠したまま仮釈放が不許可にされました。
昨年4月、星野さんは東京都昭島市にある医療センターに移監され、初めて肝臓がんを告知されました。そして医療センターは、体制も能力もないのに、巨大な肝臓がんの切除手術を強行しました。星野さんは手術中、4300㎖の出血でショック状態になりましたが、術後ICU(集中治療室)にも入れられず、23時から翌朝5時まで放置されました。
星野さんの投獄・獄死は国家犯罪です。私たちは、星野文昭さんのおつれあいである暁子さんやご家族とともに国家賠償請求裁判と第3次再審請求に立ち上がります。ご支援・ご協力をお願いいたします。
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