20210823 八王子市教委への申し入れ


2021年8月23日

八王子市教育委員会
教育長 安間英潮殿

三多摩労働組合交流センター

要請書

 パラリンピックにおける「学校連携観戦プログラム」の実施を直ちに中止し、園児・児童・生徒の動員をやめることを強く求めます。

8月16日におこなわれた政府と東京都、組織委、国際パラリンピック委員会による4者協議で、パラリンピックの無観客開催および小中高校生らを対象にした「学校連携観戦プログラム」を実施することを決定しました。8月18日の東京都教育委員会では、4人の教育委員全員が反対したにもかかわらず、教育長がこれを無視して実施を決定しました。8自治体の約13万人、都立23校の約2千人が12会場で観戦する予定とされています。
しかし、新型コロナ感染症が、「緊急事態宣言」下で強行されたオリンピックを引き金として爆発的に拡大しているさなかにあって、子どもたちの命を危険にさらす「学校連携観戦プログラム」の強行は、無謀極まりないものです。
東京では、コロナの新規感染者数が連日過去最多を更新しています。感染しても10人に1人も入院できず、多くの方が自宅で亡くなっています。最近では、「自宅療養」中の妊婦が入院先が見つからず、自宅で出産し、赤ちゃんが死亡する、病院クラスターで64人が亡くなるというような深刻な事態が次々に起きています。
都のモニタリング会議では「感染爆発は制御不能。災害レベルの非常事態」「医療提供体制は深刻な機能不全」と報告されています。この状況で再び医師・看護師を動員し、パラリンピックを開催すること自体、そもそもありえません。
その上で、学校連携観戦を実施することの犯罪性です。オリンピックでは無観客で中止を決めたものを、その時をはるかに上回る感染爆発が起きているときになぜやるのか。また、子ども以外は危険性を踏まえて無観客としたものを、なぜ子どもだけ観戦させるのか。菅首相も小池知事もまったく説明していません。
周知のとおり、いま、子どもの感染が急速に広がっています。学校や学習塾、保育園、また、アイスホッケーや全国高校野球。様々な場面で子どものクラスター感染が相次いでいます。
さらに、「自宅療養」の激増で家庭内感染が広がり、一家で自宅療養となるケースも増えています。子どもたちが、パラ観戦によって新型コロナに感染し、子ども自身やその家族が重症に陥ったり後遺症を抱えたとき、いったい、誰がその責任をとるのでしょうか。
小池知事は、教育委員が反対し、ほとんどの自治体が中止を決定するなか、都として往復のチャーターバスを準備するなど現場を無視して前のめりにパラ観戦を進めています。一方で、これは「希望者」を対象にするもので動員ではないと言っています。結局、何か深刻な事態が引き起こされれば、自治体や学校、保護者など現場にすべての責任が押しつけられるのではないでしょうか。
小池知事が、パラ観戦を進めながら修学旅行の中止を求めたことに対し、「国を跨ぐオリンピックはやったのに修学旅行は中止ですか。私たちの一回しかない高校生活返して下さい」「パラ観戦はいいのに…高校生活の思い出が奪われる」という高校生の悲痛な声があがっています。小池知事は学校連携観戦を「一生に一度の機会」と言いますが、児童・生徒たちにとっては学校生活や学校行事こそが一生に一度の機会です。なぜオリパラだけが特別扱いで許されるのでしょうか。
 そもそも、ここまで感染が広がり医療が崩壊したのは、菅首相や小池知事が基本的な感染防止策や検査・医療の拡充を怠り、五輪開催を強行した結果です。災害ではなく人災です。にもかかわらず、2人とも「感染拡大は五輪開催と関係ない」「五輪はテレビ視聴率がよく人流を抑制した」という根拠のない見解をくり返し、感染拡大を招いた責任を問われても「デルタ株」のせいにして自身の非を一ミリも認めません。行政としての資格を根本的に欠いているのではないでしょうか。

 また、菅首相や小池知事は、子どもたちのオリパラ観戦について「共生社会の実現に向けた教育的意味が大きい」と語っています。しかし、パラリンピックもオリンピックと同様、利権と国威発揚の国策であり、私たちは絶対反対です。
とくにパラリンピックは、「共生社会の実現」という宣伝とは逆に、第二次世界大戦中の負傷兵のリハビリに起源を持ち、負傷兵の一部を「障害を乗り越えた国民的ヒーロー」として兵士を鼓舞し、国民を戦争にかりたてる戦争遂行システムとして確立されたものです。それは過去の話ではありません。2016年、リオデジャネイロ大会にアフガニスタン戦争、イラク戦争の負傷兵が出場したように、現在でもそうしたシステムであり続けています。
 菅首相や小池知事は、「障害を乗り越えた、限界に挑戦する」パラアスリートを見ることが子どもたちに「気づき」を与える、「教育的意味」があると言いますが、「障害を乗り越える」ことの強調や称揚そのものが、障害者理解や共生社会とはかけ離れています。多くの障害者にとって、パラアスリートは自分たちとは関係のない遠い存在であり、ごく一部の選手が「障害を乗り越え、競争に勝ったヒーロー」と称賛される世界です。「障害を乗り越えた」ことを強調し、そこに向かって努力するのが障害者のあるべき姿、学ぶべき姿であるかのような見方は、様々な障害を持ちながら生きている多くの障害者を「障害を乗り越えられない」者、努力不足と決めつけるものです。
実際、東京都は2018年に「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」というパラスポーツのポスターを作成し、障害者から批判を浴び、謝罪とポスター撤去に追い込まれました。障害者の現実への理解を欠き、自己責任だと切り捨てるものだったからです。
本来、命の価値に優劣はなく、障害者も健常者も誰もが懸命に生きています。誰もが助けあって生き、そうしたことを実感できる社会こそが求められています。そのような教育こそが必要なのです。にもかかわらず、障害者を「障害を乗り越えた者」とそうでない者、国家に貢献できる者とそうでない者に振り分け、前者だけを学べ、価値があるとするのがパラリンピックです。それは共生社会の実現どころか差別と分断をつくりだすものです。
 津久井やまゆり園事件やコロナを理由にした精神科病院内での患者放置、虐待など、障害者に対する差別や虐待は後を絶ちません。しかしそれは、組織委員会の度重なる辞任や東京都の例を見るまでもなく、なによりも国や都など行政自身がもたらしている現実です。
 そのような現実を省みないパラリンピックやパラ観戦動員は、障害者への差別や隔離、優性思想にもとづくこの国の政策を押し隠すものであり、教育の場に優勝劣敗の競争原理、差別と分断を持ち込むものです。その行き着く先は学徒動員です。だから、絶対に反対です。

 先に述べましたが、すでにほとんどの自治体が中止を決定しています。八王子市教育委員会も、オリンピック以上に無謀かつ無責任極まりないパラリンピックを中止する立場に立ち、子どもたちの命を奪う「学校連携観戦プログラム」をただちに中止してください。

以上


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