国分寺 星野文昭絵画展


沖縄闘争を闘い無実で獄中44年 2019年獄死
国分寺 星野文昭絵画展
詩:星野暁子

入場無料


2021年11月25日(木)〜26日(金)
[開催時間]25日14時~18時、26日10時~16時

cocobunjiプラザ セミナールーム
cocobunji WEST 5階

国分寺市本町3-1-1 JR線・西武線「国分寺駅」北口すぐ


主催 三多摩星野文昭絵画展実行委員会




命どう宝(ヌチドウタカラ)

命どう宝 命こそ宝ぞ
おばあが 教えてくれた
はちまきをして
辺野古の 浜に立つ
今日も 座りこむ
ゲート前
機動隊に 排除される
おばあたち
今日 排除されても
明日 また座りこむ「
血で染まった 赤い
海水を飲んだことが
あるか?
私らを 排除するなら
赤い水を 飲んでから
来なさい」

絵 星野文昭
「辺野古の浜、沖縄の姉妹」
詩 星野暁子



沖縄を戦争の最前線基地にするな!


星野文昭さん

1946年 北海道札幌で生まれる
1966年 高崎市立高崎経済大学に入学 不正入試反対闘争で大学当局から不当処分を受ける
1968年 佐世保での原子力空母エンタープライズ寄港反対闘争、米軍王子野戦病院反対闘争、三里塚空港反対闘争に参加する
1971年 沖縄返還協定批准阻止闘争をリーダーとして闘う
1975年 「殺人罪」デッチあげ逮捕
1979年 東京地裁で懲役20年判決
1983年 東京高裁で無期懲役判決
1987年 最高裁で上告棄却、無期懲役が確定、徳島刑務所に収監
1996年 第1次再審請求
2009年 最高裁特別抗告棄却
2019年4月 四国更生保護委が仮釈放を認めず 東日本成人矯正医療センター(医療刑務所)に収監
2019年5月 肝臓がん除去手術、その後容体が悪化し、30日逝去
2020年2月 東京地裁に国家賠償請求訴訟申し立て

渋谷闘争と沖縄


 1970年代、基地のない平和な島としての本土復帰を求める沖縄県民の闘いは、全軍労(全沖縄軍労働組合)のストライキを先頭に島ぐるみの闘いとして展開されました。しかし、日米両政府の沖縄返還合意は、米軍基地の強化と固定化を図るものでした。沖縄では、返還協定反対の怒りと闘いが巻き起こり、1971年5月19日と11月10日には、ゼネラルストライキが闘われました。
 1971年11月14日、渋谷で闘われた沖縄返還協定批准阻止闘争は、この沖縄の人々と連帯する闘いでした。沖縄米軍基地を最大の実体とする日米安保の粉砕を掲げた闘いは、本土・沖縄の分断を打ち破るものでした。
 星野文昭さんは、この渋谷の闘争で、機動隊1名が死亡したことに関して「殺人罪」をデッチあげられ、「無期懲役」とされたのです。星野さんは44年間、獄中から無実を訴え続けました。
 現在も政府は、沖縄県民の総意を踏みにじって、辺野古に最新鋭の米軍基地建設を強行し、「台湾海峡」問題を口実に沖縄・南西諸島に自衛隊のミサイル配備を強行しています。星野さんの遺志を引き継ぎ、沖縄の人々とともに戦争絶対反対の声を上げましょう。

星野さんの獄死の責任は国にある

 2020年2月、星野文昭さんの獄死の真相を解明し、国の責任を追及するために、国家賠償請求裁判が提訴され、これまで7回の口頭弁論が開かれてきました。
 この中で、徳島刑務所が、肝臓がんが11㎝×14㎝の大きさになるまで放置したこと、移監した東日本成人矯正医療センターが、切除手術を行う医療体制もないのに手術を強行したこと、さらに手術後の大量出血でショック状態に陥っていたのに放置したことが明らかになっています。
 星野さんの死は国の責任です。これは星野さんだけでなく、すべての獄中収容者の命にかかわる問題です。人の命を奪い人権を守らない国の責任が追及されなければなりません。みなさんのご支援をお願いします。



沖縄返還協定批准阻止闘争から50年
星野さん大坂さん奥深山さんと団結し
改憲・戦争と闘う11・28全国集会

11月28日(日)午後2時
かめありリリオホール(常磐線=千代田線延伸「亀有」駅前徒歩1分)

主催 集会実行委員会


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